2011/06/20

ボランティア活動報告 その2。

20110618-DSC_3199-500
Name tag Nikon D40 + AF Nikkor 35mm/F2.0 

東北へ一週間、ボランティア活動に行ってきました。
2度目の参加です。6月10日から16日までの一週間です。
今回の現場は、多岐に渡りました。
以下、活動内容です。

11日 陸前高田…畑の屋根解体、及び撤去作業
12日 気仙沼…避難所での炊き出し
13日 気仙沼大島…個人敷地内のガレキ撤去
14日 気仙沼…避難所での炊き出し
15日 気仙沼…漁港内でのコンテナ清掃(重油拭き取り)

※初日と最終日は移動日です。



インフラ整備とか、交通手段とか。
色々なことを議論する人がいますが、それは専門家に任せて。
今、ニーズがあるのなら、僕は現場にいたい。
例え偽善であっても、誰かの援けになるのなら、
それでいいのだと思っています。

あまりに静かな海や、凄惨な焼け跡を眺めていると
思わず涙を流してしまう人もいるでしょう。
この感覚は紛れも無くリアルであり、確実に人の感性に訴えかけてきます。

前回、共に作業をした人々と、違う形での再会も叶いました。
皆、そうやって少しずつ人生を変えていく。
例え正しい選択ではなかったとしても、それで良いと思えてくる。
僕もあの光景を、一生忘れることが出来ないと思います。

特に大島では、まだ手つかずの現場が数多く残っており、
人の手が足りないといいます。

現場に出向けばいいというわけではない。
それでも、現場に出なければわからないこともあると思います。

組織・運営・政治。全てをより良くする為の行動を選ぶのか、
目の前の小さなものを僅かでも改善する現場での行動を選ぶのか。

いずれも一つの選択であり、遂げるためには膨大なパワーを必要とします。
議論はその過程の一つです。議論は目的ではない。

フェリーから降りてくる乗客の方々殆どが黒い喪服であったのを見たとき。
巨大なフェリー2隻が桟橋ごと陸地に打ち上げられているのを見たとき。
明るく喋ってくれるおじいさんの濡れた瞳を見たとき。
静かで無残な現実から、言葉とは、議論とは、
いかに遠くおぼろげなものであるかを思い知りました。

現場は、すぐそこにあります。
無言で行動する人々が、大勢います。
そして、それよりももっと大勢の人々が、
援けを必要としています。


I took part in volunteer work for 7days, again.
Very tired, because of not only physical fatigue
but also complicated human relationship.

I saw,smelled,spoke,felt so much.
and shed tears now.
I'm not in the journey,but I feel "now I'm on the road".

Now,there are lack of human power in disaster area.
Help that,or only do conversation?
This is up to you.
Stricken area is very closed to our place.
We know that. have to think about that.

2 コメント:

  1. 今回もボランティア、お疲れさまでした!

    行ってみないとわからないことが
    あるよね。
    少しずつ人生が変わっていく。
    本当に深い言葉だね。。。

    ボランティアに行きたいと思いながらも
    中々纏まった時間がなくて
    歯がゆい日々だけど、機会があれば
    ぜひ応援に訪れたいと思います。
    また現地の話、聞かせてくださいね。

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  2. uniさん

    どもども。
    コメント有難う。
    いける人もいけない人も、
    事情はそれぞれですよね。

    僕は今、動ける立場だから、
    そういう役割なんだと思います。

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