2014/11/03

知床で思ったこと。

思うように撮影できない。全くと言っていいほど写真を撮っていない。
今年の秋は、結果を求めていた。「撮れない」ということがないように二重・三重にその準備を進めていたが、事情があって北海道入りが三週間遅れた。この時期の季節の動きは速い。当初の予定では出来たであろうことが全てできなくなっていた。状況を聞くと、予定通り北海道入りできていたら今頃ずいぶんとシャッターを切っていただろう。読みが的中していただけに苛立ちが募った。

行き場を失った僕は、現地でヒグマと関わって生きる人達を尋ねた。彼らと話をすると、自分の無知を改めて感じて心が引き締まるのと同時に、未知の世界を覗き見るようで想像力が刺激され気持ちが昂る。
「撮りたいから」選んだはずの被写体が、いつの間にか「撮り易いから」という状況に少しずつ流されていた。野生動物の撮影において「撮り易い」と「撮りたい」の混同は、紋切り型の絵を量産するだけだ。なぜなら「撮り易い」状況を優先すると、皆が同じ場所でレンズを並べて撮ることになってしまうから。

動物を追うことは、歩くことであり、待つことであるのと同時に「人と関わっていくこと」だとこの頃強く感じている。今回の遠征は失敗し、無駄に終わる予感に苦しんでいた。しかし人に会い、話をしてみると、今までやってきたことは無駄ではないと思えてくる。彼らと知り合えたことこそが、撮影活動の最も大きな成果の一つだからだ。
「効率を求めるな。平均に寄りそうな」道東に住んでいるとき、僕は常に自分にそう言い聞かせてクマを追っていた。それはこの秋も変わらない。新しいエリアに足を踏み入れてみよう。成功は遠いかもしれないが、本当に「撮りたいもの」への、確かな一歩となるだろう。

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